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【小説】「公衆便所男⑯」

 Hello山下とは、私自身なのか――?
 
 これほど正確に私の行く道を先回りして落書きを残していくなど、殆ど不可能な話だ。それができるのは私自身しかいない。仮に私が多重人格者であり、夢遊病のような状態でトイレに落書きを残していたとすれば、これまでに起こった全ての怪事件にも納得のいく説明がつく。
 全ては私の自作自演なのだろうか?家に見慣れぬサインペンがあったのも、Lexusの中に多量のイチジク浣腸器が放置されていたのも、全て「もうひとりの私」の仕業なのだろうか?

 だが、まだ疑問は残されている。仮に私が多重人格者で、全てが自作自演だったとすれば、私には【空白の時間】が存在している筈だ。ところが私にはそんな記憶はない。初めてHello山下の落書きに遭遇した11月4日から今日までの間、私の記憶は途切れていないのである。
 加えて、夢の中でHello山下が残したメッセージ

【Hello山下はYou自身、Hello山下は左利き】

 の【左利き】の部分にも説明がつかない。私は右利きである。仮に、Hello山下が私なのだとしたら、これは何を意味しているのだろう?


「…あ…!」


 ふと、ある光景が私の頭の中をよぎった。

 幼児が勉強机に座らされている。後ろには見知らぬ女が立っている。幼児の目の前には迷路が置いてあり、幼児はスタートからゴールまで、迷路を鉛筆でなぞらなければいけない。
 幼児は震える右手で鉛筆を持ち、たどたどしい線で迷路をなぞっていく。左手を使おうとすると、女の厳しい叱責が飛ぶ。幼児は泣きながら、右手を使って必死で迷路をなぞっていく――


(もしかすると…)


 私はHello山下が残したサインペンを左手で持ち、トイレの壁に【Hello山下参上!】と書いてみた。右利きである私は、左手で字など書いたことは無い筈だ。にも関わらず、私の左手はスラスラと文字を書いていった。
 
 
           【Hello山下参上!】


 そこに現れたのは、Hello山下の筆跡そのものだった。
 気づかぬうちに私は涙を流していた。
 そうだ。
 あの幼児は、私だ――――

 あれは幼かった私の、利き手の矯正訓練の思い出だ。幼い頃、両親が共働きだった私は「プレイルーム」と呼ばれる保育施設に預けられていた。その施設の教育方針で、左利きの児童は無理やり右利きに矯正させられたのだ。私は「プレイルーム」が大嫌いだった。イヤでイヤで仕方なかった。私は両親に何度も「あそこへはいきたくない」と訴えた。だが、その言葉は聞き入れられなかった。「ワガママを言うんじゃない」と叱られて、泣きながら渋々プレイルームに通ったのだ。

 やはりHello山下は私だったのだ。長い間抑えつけられていた「もうひとりの私」は、心の深い所に隠れていて、ずっと外に出られるのを待っていた。自分の存在を知らせるチャンスを、今か今かと待ち続けていたのだ。その私がHello山下となって現れた。数々の悪戯は「自分の存在を認めてもらいたい」という、もうひとりの私からの必死のサインだったのだ。

 
 それがこの珍妙なる事件の真相だろう。


「ぐるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるぅぅぅぅぅぅぅる」

 その時、聞いたこともないような奇妙な重低音がトイレ内に鳴り響いた。

(なんの音だろう?)

 私は音の源を探した。
 その音は、私の腹の奥から発せられていた。
 次の瞬間、猛烈な腹痛が私を襲った。
 そうだ、私はメルトしそうだった筈だ。
 大丈夫、ここはトイレットだ。
 大便器までは数メートルも離れていない。
 全ての謎は解けた。
 心置きなく排便の快感に酔いしれようではないか。


 だが――――


 すさまじい炸裂音と共に、私の肛門は弾け飛んだ。

 
                       (続く) 文責:魔王源

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2008年12月17日 21:41に投稿されたエントリーのページです。

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