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【小説】「公衆便所男⑧」

 時刻は15:00を過ぎた。
 私は自分がとてつもなく愚かな行為をしている事に気づいた。午後休を取ったのだ。自宅に戻ってトイレに行けば良いではないか。最早公衆便所に拘る理由はない。私は帰宅することにした。

 30分後、私は自宅のドアノブに鍵を差し込んでいた。家賃10万8000円・共益費・駐車場代込み・風呂トイレはセパレート・マンションタイプの2LDK。これが我が家のスペックだ。
 ちなみに私は独身である。43歳にもなって男やもめでいる事に対し、周囲の反応は芳しいものではないが、それがどうしたというのだろう。実に大きなお世話だ。A電機在籍時など、同性愛者疑惑まで立てられたのだ。よもすれば、その噂が原因で現在の会社に左遷されたのかも知れないのである。まったくもって噂という奴は恐ろしい。事実無根・根も葉もない全くの出鱈目であっても、ひとたび広まってしまえば真実と区別がつかないのである。
 まあ、そんなことはどうだっていい。今現在大切なことは「トイレ」であり「ウンコ」である。会社の事など忘れてしまおう。気持ちよく排泄をしてスッキリしたら、ビールを呑んで寝るとしよう。

 などという事を思いつつ、私はトイレのドアを開けた。
 そこで私は【見る筈がないもの】を見てしまったのだ。

「Hello山下!!!!参上だYOooooooooooooooooooonnnnn!!!!!!」

 私は自分の目を疑った。ここは私の自宅である。何故Hello山下の落書きが存在するのか?驚いた私はトイレを飛び出し、侵入者の形跡を探した。押入れの奥に隠してあるタンス預金も調べた。しかし、物を取られたわけでもなく、猫の子一匹入り込んだ跡は見つからなかった。
 だとすれば何故だ?何故Hello山下の名前が我が家のトイレに残されているのか。不思議なことにこの時、私の頭の中に恐怖は存在しなかった。Hello山下なる不届きに対する怒りと共に、奇妙な好奇心が沸々と湧き上がった。「必ずやこの無法者を見つけ出し、相応の制裁を加えてやる」という決意が私の心を高揚させていた。

 (何か手掛かりがある筈だ…!)

 そう自分に言い聞かせ、部屋の中を探し回った。TVの裏を覗き、洗濯機を持ち上げ、クローゼットの中を掻き回し、必死に痕跡を求めた。
 そしてついに、Hello山下へと続く重大な手掛かりを発見した。冷蔵庫の側面に、マグネットで付着するペンホルダーを貼り付けてあるのだが、そこに見覚えのないサインペンを発見したのだ。明らかにそれは、我が家のものでなかった。
 私はサインペンを手にとってみた。思わず強く握り締めてしまう。このちっぽけなサインペン一本が、憎き無頼漢Hello山下の居場所へ導く道しるべになるのだと思うと、嫌が応なく力が入る。
 ペンは太字と細字、2種の線が引けるタイプのものだった。両端がペン先となっている。
 このペンが、これまでの犯行に使用されていたのだろうか…ふいに私は書き味を試してみたくなり、太字の方のキャップを外した。
 するとそこから、丸まった紙辺がひらひらと落ちた。どうやらキャップの裏側に挟まっていたようだ。それを見た私は興奮し、ロールした紙辺を広げた。
 そこには、


      「11月18日 15:00 伊豆にて待つ」

 と、見覚えのある字で書かれていた。
 明らかにそれは、Hello山下からのメッセージであった。本日は11月4日である。今日から数えて14日後に、Hello山下は伊豆に現れると宣言している。
 無論ブラフの可能性は否めない。これまでの落書きから察するに、奴の人格は相当捻じ曲がっている。油断のならない狡猾な男だ。
 だが、不思議と「ブラフではあり得ない」という気がした。Hello山下は必ず伊豆に現れる。私は確信に近いものを感じた。
 奴は、

 伊豆に行きました。
 Hello山下は見つかりませんでした。
 単なるブラフでした。
 全くの徒労に終わりました―――

 程度の嫌がらせで満足する男ではない。間違いなく二重三重に入り組んだトラップを仕掛けてくる筈である。
 明らかにこれは罠だ。それは重々承知している。ならば、あえて罠に飛び込んでやろうではないか。必ずや私は、奴の裏を書いて正体を暴いてやる。徹底的に謝罪させよう。私の面前で土下座させて、頭に唾を吹きかけてやろう。そして、これまで公衆便所に書いた落書きを、ひとつ残らずHello山下自身の手で消させてやろうではないか。
 
                       (続く)

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2008年11月08日 23:32に投稿されたエントリーのページです。

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